故人を供養するために必要なもの
■本日の【金の魂語】(きんのたまご)20260425
ここで、もう一度…
ひとつの「命」の重みについて、
考えてみませんか?
コロナ禍以降、あまりにも多くの「死」に直面し過ぎて、「命」の大切さが麻痺してしまっているかのように感じられます。
お葬式なども質素になり、親戚や生前故人がお世話になっていたであろう人たちへのご挨拶も疎かとなり、
「故人に使うお金は勿体無い」
「どうせ、みんなあの世へ行けば同じなんだから…」
「面倒くさいし」
などと言う幼稚で怠惰な理由によって、「直葬」などと言う…あまりに薄情な黄泉送りも多くなってきています。
中には、自分の親が亡くなってしまった後も…
「どうすれば良いかが分からなかった…」などと、遺体を遺棄したり隠したりするケースも増えています。
生前、どれだけ会話が少なかったにしろ…
「もしものとき」のことくらいは、想像できたはずですし、話しておくべきだと思うのですが…、
余りにも「利己愛主義者」で自分に都合よく生きている人が多過ぎるような氣がしてなりません。
「命の重み」それ以上に、正常な「想像力」すら…失われてしまったのではないか?と危惧してしまいます。
人を思う「愛」は、想像力です。
人類の平和に必要なのも、想像力。
故人を供養するために必要な想像力は、「愛」。
「命を大切に思う氣持ち」と
「故人を供養するために必要なもの」は、
『想像力』であり『愛』でもあるのです。
今の世は、どちらも乏しくなってしまいました。
私なら、親が「亡くなったら家族葬で誰にも言わないで質素に送ってね。」と言ったなら…、
「何を寝ぼけたことを言ってるの!?これまでお世話になった方々に挨拶もしないで逝くのですか?あかんでしょう?
良い人ぶってはいけません!!目を覚ませ!しっかり生きろ!」と諭すでしょうね(笑;)。
このようなことを言うと、母は話を変えようとしてきます(笑)。
それに、私は…、
一生懸命に最期まで生きなければ、後悔することも知っているので、お葬式は、この世最期の卒業式と同じです!
終わり良ければすべて良しでは無いけれど、最期の区切りはしっかりと行いたい。その為に、一生懸命に働きたいと思います。
立派なお墓はいりませんが、周囲の人の心に残るような「愛」を残して逝きたいと思うのです。
「命」は本来、何よりも重いものです。それが、今では…お金に変えられてしまうような軽いものになってしまっています。
もう一度、家族で考えてみませんか?
想像力を持って…。
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