手を離さない
わたし達は、親も家族もご先祖さえも十分承知したうえで、ココに生まれてきました。
その心は…
その1、ココでしか学べないことを学ぶため
その2、先祖のカルマを解消するため
その3、自分の未熟な部分を埋めるため
その4、絆を学ぶため(愛することと、愛されることの学び)
その5、家族・身内に学びや気付きを与えるため
…etc
その目的を解消するために大事なことは…
どんなに腹が立っても、絆に亀裂が入っても、離れて暮らすことになったとしても決して…
一度繋いだ手だけは離さないこと。家族を「思うこと」をやめないこと。家族間の問題は、自分を成長させるためにあるドリル。だから、簡単な問題って少ないものです。
あの世にいたときは、みんな「わたしなら出来る」って、自分で自分に課した問題。
大阪堀江の、幼い子供たちがママに育児放棄されて亡くなった事件(2010年)。現場の前を移動することも多いのですが、今では、ニュースを見て現場に慰霊に訪れる方たちの残留思念に変化を感じます。
これまでの幼児虐待に関する周囲の思いとは違って、「気付いてあげられなくてごめんね」「助けてあげられなくてごめんね」といった、自分にも何か出来たはず!わたし達にも原因がある!もう二度とこんな悲しい思いはさせちゃいけない!って、心の声が聞こえてくるのです。
あの子たちは、この国の虐待や育児に関する「決まりごと」を、大きく変えるメッセージを残して過ごしやすくてお腹いっぱい食べたり飲んだり出来るところへ、天使と一緒に帰っていったんですね。。
去年(2009年)から、今年(2010年)は虐待の被害が物凄く増える…と、小さいながらも活動してきました。でも、ニュースにならない虐待や、まだ今も誰も知らないところで苦しんでいる親子がいます。
今年(2010年)は、「結果の出る年」。
虐待も、高齢者の所在不明も、全てこれまでの結果なのです。絆を疎かにしすぎました…。必ず、どのような事情があろうと人は一人では生きていけません。幼い頃から誰かと手を繋ぎ、誰かに見守られ、思い、思われながら生きてきました。
放置虐待死した2人にも、ママ以外に、離れて暮らすパパや、じぃじやばぁばだっていて、みんな「思って」いたはずなのです。でも残念ながら、手を離してしまっていたのでしょう。
手を繋いでいれば、どちらかが石に躓けば自分の手が引っ張られて気付く…どちらかが、悔しい思いや悲しい思いをすれば、その感情は手に伝わりギューッって力が入って気付く…。
人間には感があります。手を繋いでいれば、離れていても、喧嘩していても「ご飯食べてるかな?風邪ひいてないかしら?ちゃんと洗濯・掃除できてるかな?」って、思うはずなのです。。
うちの母は、「夢をみたから…」「花が枯れたから…」「ただ何となく気になって」と、昼でも夜でも気になったときに電話を掛けてきます。お祖母ちゃんは、「梅干を漬けたから」「高菜が美味しく出来たから」「美鈴ちゃんは喉が弱いからカリンを漬けたよ」「団子が美味しく出来たから」とそれらを送ってきてくれます。同封された手紙の出だしは、決まって「元気にしてるね?ご飯食べてるね?…」です。
田舎に帰って、お祖母ちゃんち行くと、「これ、美鈴ちゃんに食べさせようって思って、祖母ちゃんコレとっちょったとよ。コレも食べんね、あれも食べんね…」と、お腹がはちきれるほど色々出してくれます。自分では食べずに、コレはあの子が好きだから…これは、あの子の好物だから…と、残してあります。
普段から、そうなのですね…。お祖母ちゃんの人生の中で、とても辛い食べられない時代が長くありました。だから、自分と同じ思いはさせないようにという思いがあるのでしょう。そして、誰かが喜ぶ顔が幸せなのです。
綺麗な花を見たら、誰かに見せてあげたいって思って、美味しいものを食べたらそれを食べる誰かの笑顔を思って、自分が怪我をしたら誰かもこんな痛い目にあってるんじゃないか?って心配して…
お祖母ちゃんは、たくさんの家族、孫たちと手を繋いでいてくれているのです。いつも…どんなときも…。
家族や身内だけではありません。友達も、知り合いみんなと、心の手を繋いでいます。みんな、だれかと手を繋いで生きています。ほんの些細な変化にも対応して、思い遣って、気を利かすことが出来れば、見えないところで泣いてる人の手も握ってあげることが出来るようになるでしょう。
堀江あの子たちがいたマンションでは、これから住民の絆を強めようという呼び掛けがあるそうです。住民が声を掛け合っているそうです。
ご近所付き合いも「ことなかれ主義」から、「気を利かし合える、ジィちゃんバァちゃん的なお節介主義」なお付き合いにシフトしていきたいですね。
誰かと一緒に生きるって、面倒臭いことではなくって、有難いことなのです。そして、家族間の問題には免除はありません。必ず、向き合わなくてはならないこと・受け入れなくてはならないことなのです。一人じゃ無理なら皆で、それでもダメなら、他人や行政の手を借りて乗り越えなければならないのです。
生きてるうちに無理ならば、あの世でね♪
あの世で無理なら、来世でね♪
頑張りましょう。
繋いだ手を離さずに…。