美鈴社講の活動について(修行TOPページ)
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美鈴社講の修行
こんにちは 美鈴公式サイト管理者の親方!です。このページでは、美鈴社講の活動についてご説明をさせていただきます。
美鈴社講は、大峰山での山伏修行を中心に、心身を鍛え、魂を浄化し、霊的な学びを深めるための活動を行っています。自然の中で自分自身と向き合い、新たな気づきと成長を得る場を提供しています。
歴史的な修験道の精神を大切にしながらも、代表「美鈴」の霊的なサポートを受けることで、現代の霊的成長と結びつき、1人ひとりが実生活で感謝と利他愛に満たされた生活が送れるようにとの思いで活動をしています。
修験道の歴史的背景
修験道の始まり:祈りと山岳信仰
修修験道は、日本に仏教が伝来する以前、古来の山岳信仰から始まりました。当時の人々は、山を神聖な場所とし、自然の中で修行を行うことで霊力を得て、里の人々のために尽力することを目的としていました。山に籠り修行をする人々は、自らの魂を浄化し、その霊力を「誰かのために」使うという祈りを捧げました。
その祈りの対象は、個人や家族だけでなく、権力者や村全体の命を守ること、蔓延する病を鎮めること、そして災害から里を守ることなど、さまざまでした。また、里で暮らせなくなった人々や追われた人たちも山に入り、生活をしながら五感を磨き、第六感と呼ばれる霊力を得る修行を行いました。その霊力もまた、「誰かのために」という利他の心によるものでした。
修行者の帰還と祈りの本質
山に籠った修行者たちは、山中で霊力を授かり、全ての力を使い果たして里へと戻ってきました。その姿は、痩せ細り、疲労困憊し、まるで命そのものを削り取られたかのようだったと伝えられています。それでも彼らの心は不思議と清らかで満たされていました。特に若い修行者たちが、何日にもわたる過酷な苦行を終え、里に降り立った瞬間に思い浮かべるのは、いつも変わらぬ愛で自分を見守り続けてくれた「母親」の姿でした。傷ついた体でさえ、その再会のために少しでも清らかにしようと髪を整え、ヒゲを剃り、痩せた頬にわずかな血色を取り戻す努力をしたといいます。その姿には、親への深い感謝と、自分を生かしてくれた全ての存在への祈りが宿っていたのです。
その姿勢は、第二次世界大戦中の特攻隊員たちの思いにも似たものがあり、「誰かのために命を捧げる」という精神が根底に流れています。この利他の心が、修験道の本質といえるでしょう。
美鈴社講の修行と現代の意義
美鈴社講では、この歴史的な修験道の精神を大切にしながらも、現代社会における霊的成長と結びつけるための修行を行っています。修行を通じて、参加者は自然の中で自分自身と深く向き合い、日常生活では得られない感謝や利他愛の心を養います。
大峰山修行では、「一度死んで生まれ変わる」という擬死再生(ぎしさいせい)を体験します。参加者にとって厳しくもあり、同時に新たな自分を発見する場でもあります。修行中は、非日常的な行場を体験し、心身を鍛えながら「生かされている」ことへの感謝が自然と湧き上がります。
さらに、美鈴社講の修行では、代表である「美鈴」の霊的サポートが大きな特徴です。「美鈴」の圧倒的な霊能力に守られながら修行を行うことで、魂の浄化が深まり、他では体験できない特別な時間を過ごすことができます。
女性陣の祈りと利他愛
修行中、山に入る男性陣を支えるのは、里で祈りを捧げる女性陣の存在です。女性陣は滝行や水行といった里の行を終えた後、山での男性陣の安全を祈り続けます。その祈りは、大きな力となり、修行における重要な支えとなります。美鈴社講の修行は、修験道本来の利他の精神を現代に伝え、参加者一人ひとりがその心を実生活で活かすことを目的としています。
修行を通じて得られるもの
修行を終えた後には、「自分はどうあるべきか」「どう行動すべきか」という問いへの気づきが得られます。修行で得た経験は、窮地に立たされたときの選択や行動力を養い、日常生活での困難にも立ち向かう力となります。
美鈴社講では、”仏教の宗派に所属しなければならなかった明治以降の制約”を越え、古来の山岳信仰を尊重しながら未来に繋がる修行を行っています。他では得ることのできない「魂の浄化」を体験し、日常をより豊かにするための学びが得られる貴重な場です。
修行への参加について
美鈴社講では、定期的に修行の参加者を募集しています。初めての方でも安心してご参加いただけるよう、サポート体制を整えています。
なお、修行への参加は、美鈴スペシャルメンバーズの会員様を対象としております。この会員制度では、「美鈴」が常日頃からお伝えしている「幸せになるための霊的真理7つの法則」を基本から学ぶことが出来ます。この学びを基盤とし、修行に参加することで、より深い霊的成長と霊的真理の実践が可能となります。
修行に参加してどうなれるのかを教えてください。
修験道の山伏修行では、山中の苦行で悟りを得ることが最終目的のように言われていますが、現代の実社会において修行に参加してどうなれるのかを教えてください。
修験道の山伏修行とは?現代社会で得られるもの
修験道の山伏修行は、古くから山中での厳しい修行を通じて悟りを開くことを最終目的としています。しかし、現代社会において修行に参加される方々の多くが抱く疑問は、「修行をしてどうなるのか」ということに尽きるのではないでしょうか。
私たちが考える修行の目的は、必ずしも伝統的な意味での「悟りを開く」ことではありません。それよりも、山に入り、大自然の力や恩恵を受けることで、現代社会での生活においても応用できる「自分自身を前に進める力」を身につけることにあります。
自然の中で得られる気づき
山中では、普段の日常では体験することのない厳しい環境に身を置くことになります。険しい山道を進む中で疲れや挫折を感じることもあるでしょう。しかし、その中で自然の力に触れることで、人間の小ささを感じ、自分自身を取り巻く「生かされている」ことへの感謝を深めることができます。
さらに、苦しい状況にあっても、一歩一歩道を進んでいくことで、「困難な状況の中でも道を切り開く力」が養われます。これは修行という非日常の場だけでなく、日常生活の中でも大いに役立つものです。
厳しさの中に見える新たな自分
修行を通じて、自然の恩恵を受けながら自らを律することで、心身が鍛えられ、忍耐力や冷静さを身につけることができます。厳しい状況に追い込まれるからこそ、自分の本当の弱さや、逆に強さにも気づくことができるのです。
その結果、修行を終えた後には、「自分ならこの程度の困難は乗り越えられる」という自信と、「どんな状況でも感謝の気持ちを持ち、周囲のために力を尽くす利他愛」の心を養うことができます。
修行が現代社会に与える影響
修験道の修行で得られる経験や気づきは、現代社会における様々な場面で役立ちます。仕事や人間関係、日常生活の中で困難に直面したとき、修行で身につけた「前に進む力」や「自然の流れに身を任せる心」を思い出すことで、より良い選択ができるようになります。
悟りを得ることは難しくても、修行を通じて得られる学びは、現代の私たちにとって必要不可欠な「生きる力」となるのです。